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한국사

일제시대 보통학교 국어독본 권6

by 8866 2008. 2. 14.

 

普通學校國語讀本 巻六

朝鮮總督府編纂 普通學校國語讀本 巻六

大正三年二月三日印刷
大正三年二月五日發行
大正四年?月二十五日再版
定價金六銭
朝鮮總督府
總務局印刷所印刷

総頁数 144頁

 

緒言

目録 第1課~第29課
附録2

第一課 日光
第二課 稻刈
第三課 明治天皇
第四課 菊
第五課 朝鮮地理問答
第六課 雁
第七課 甘藷
第八課 甘藷を贈る手紙
第九課 本州と四国
第十課 大阪からの手紙
第十一課 人ノカラダ(一)
第十二課 人ノカラダ(二)
第十三課 食物
第十四課 胃の腑と身體
第十五課 年始状
第十六課 京都見物の話  
第十七課  おもいやり(変体仮名)
第十八課 九州ト臺灣
第十九課 北海道と樺太
第二十課 隣國
第二十一課 明治二十七八年戰役(一)
第二十二課 明治二十七八年戰役(二)
第二十三課 都會と田舎
第二十四課 人の職業
第二十五課 わざくらべ
第二十六課 井上でん
第二十七課 明治三十七八年戰役(一) 
第二十八課 明治三十七八年戰役(二)
第二十九課 朝鮮總督府
附録(一)
附録(二)


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緒 言
一、 本書ハ普通學校第三學年前半期ノ國語科教科書ニ充ツルモノナリ。
二、 本書ニ於テハ、修業年限ヲ三箇年トセル普通學校ノ便宜ヲ計リ、前各巻ニ繼ギテ、歴史的事項・地理的事項
   等、各種ノ主要教材ヲ略々完結セシムルコトニ留意セリ。
三、 本書ノ各課ハ、其ノ練習ト共ニ、凡ソ三四時間ヲ以テ教授スベキ豫定ナレドモ、教師ハ、便宜、斟酌ヲ加ヘ、生
    徒ノ能力ニ適セシメンコトヲ圖ルベシ。
四、 本書ヲ教授スルニハ、國語ヲ以テ説明ヲ加ヘ、且ツ實物・動作・會畫等ヲ利用シ、生徒ヲシテ十分ニ其ノ意義
   ヲ理會セシメ、尚ホ言語或ハ文章ヲ以テ、明瞭ラ之ヲ表出セシムベシ。
五、 本書ノ各課ヲ教授スルニハ、本文ノ讀方・解釋等ニ入ル前、必要ニ應ジテ該課ノ内容ニ關シ、豫メ國語ニテ問
   答又ハ説明ヲナスベシ。
六、 新出語ハ總ベテ之ヲ上欄ニ掲ゲ、且ツ新出文字ニハ・點ヲ附シ、讀替文字ニハー線ヲ附セリ。
七、 練習問題ハ、掲グルモノノ外、必要ニ應ジテ、之ヲ補フベシ。
八、 教師ハ本書所載ノ言語ヲ授クルヲ以テ足レリトセズ、機ニ臨ンデ之ヲ補ヒ、生徒ノ語彙ヲ富マサンコトヲ務ムベ
    シ。而シテ既ニ授ケタル言語ハ、爾後、絶エズ之ヲ使用セシムベシ。
九、 巻末ノ附録ハ、生徒ヲシテ、豫習・復習ノ際、之ヲ利用セシムベシ。

    大正三年十月         朝 鮮 總 督 府


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■第一課 日光
東京カラ汽車ニ乘ッテ、北ノ方エ進ンデ行クト、四時間バカリデ、日光ノ町ニ着キマス。
町ニ入ル道ノ兩側ニハ、杉ノ並木ガ空ニ聳エテ居マス。」
町ヲ通リヌケルト、一ツノ川ガアリマスガ、其ノ水ノ岩ニクダケル有樣ハ、雪ガ散ルノカ、玉ガ飛ブノカトウタガワレマス。此ノ川ニ朱塗ノ橋ガカケテアリマシテ、其ノ美シサハ、マズ見物人ノ目ヲ驚カシマス。
川ヲ渡ッテ、晝モナオ薄暗イ森ノ中ヲ少シ行クト、東照宮ノ前ニ出マス。表門ヲハイレバ陽明門ガアッテ、金銀ノ光ヤ丹青ノ色デ、目モマバユイバカリデス。柱や欄干ニハ、一面ニ人物ヤ鳥獸ヤ草花ナドガホッテアリ、天井ニハ龍ノ畫ガカイテアリマスガ、何レモ精巧デ、人ヲ驚カサナイモノハアリマセン。此ノ門ニ日暮門(ヒグラシモン)トイウ異名ガアルノハ、人ガアマリノ美シサニ見トレテ、日ノ暮レルノモ知ラズニ、ナガメテ居ルトイウ意味ダサウデス。門ヲハイッテ、段々進ンデ行クト、拝殿ガアッテ、其ノ後(ウシロ)ニ本殿ガアリマス。拝殿モ本殿モ、其ノ美シイコトハ、中々、口ニモ筆ニモ盡サレマセン。
東照宮カラ西ノ方エ、山路ヲ三里バカリノボレバ、中禪寺湖(チウゼンジコ)ガアリマス。湖ノ面ハチョウド鏡ノ樣ニスンデ、四方ノ山ノカゲガ皆サカシマニウツッテ居マス。其ノ水ハ華嚴瀑(ケゴンノタキ)トナッテ、雷ノ樣ナヒゞキヲシテ落チマス。其ノ高サガ七十丈モアッテ、マコトニ壯觀デス。

練習
一、陽明門ノコトヲオ話シナサイ。
二、中禪寺湖ノコトヲオ話シナサイ。
三、「マバユイ」「見トレテ」ヲ用イテ、二ツノ短文ヲオ作リナサイ。
   
■第二課  稻刈
或ル日曜日ニ、太郎ハ父ニツイテ、稻刈ノ手傳ニ行キマシタ。田ハ稻カセヨク實ッテ、一面ニ黄色ニナッテ居マシタ。アチラデモ、コチラデモ、人々ガ忙シソウニ稻刈ヲシテ居マシタ。太郎モ、精出シテ、父ト共ニ稻ヲ刈リマシタガ、ヤガテ二人ハ田ノ畔ニ休ミマシタ。シバラクシテ父ハ太郎ニ向ッテ、「太郎、コウシテ稻ヲ刈ッテ、ソレカラドウシテ、米ヲ取ルノカ、オ前知ッテ居ルカ。」ト尋ネマシタ。ケレドモ太郎ハソレヲヨク知リマセンデシタカラ、父ハ次ノ樣ニ話シテ聞カセマシタ。
「マズ、コウシテ稻ヲ刈ッテ、ソレヲ日ニ乾カスノダ。ソウシテ其ノ稻ガ乾イタ時ニ、稻扱器(イナゴキキ)デ實ヲ扱キ落シテ籾ニスルノダ。其ノ籾ヲ摺臼(スリウス)デヒイテ、唐箕(トウミ)カ箕(ミ)デアオッテ、籾殻ヲ去ルト、玄米ニナル。玄米ニハマダ摺リ殘リノ籾ガマジッテ居ルカラ、之ヲ萬石?(マンゴクトウシ)ニカケテエリ分ケル ソレカラ玄米ヲ臼デツイテ篩(フルイ)ニカケテヌカヲ去ルト、白米ニナル。コレガ我々ノ食ベル米デアル。此ノ樣ニ稻カラ米ヲ取ルノハ、其ノ骨折ガヨウイデナイ。」
太郎ハナルホドトサトッテ、其ノ時カラ粒デモ米ヲ粗末ニシナイヨウニナリマシタ。
     ※ 「?」=草冠+徙

練習
一、稻刈ヲスル頃ノ農家ノ有樣ヲオ話シナサイ。
二、稻ヲ刈ッテカラ、白米ニスルマデノコトヲ文ニオ作リナサイ。
三、太郎ハ父ノ話ヲ聞イテ、ドウイウコトヲサトリマシタカ。
   
■第三課 明治天皇
明治天皇ハマコトニスグレタオ方デイラセラレマシテ、御在位四十六年ノ長イ間、國ノタメ、人民ノタメニ、ヒタスラ政治ニ御勵ミアソバサレマシタ。其ノオカゲデ、天皇ノ御治世中ニ、我ガ國ハ何事モ進歩シテ、世界ノ一等國ノ一ツトナリマシタ。
明治四十三年ニハ、朝鮮ノ人民ニ對シテ、租税ノ一部ヲオユルシニナリ、又、大赦ヲ仰セ出サレマシタ。ソウシテ兩班(ヤンバン)・儒生(ジュセイ)ノ中デ、殊ニ徳ノスグレタ人ヤ、孝子・節婦ニ恩賞ヲ下サレ、又、ヤモメ・ミナシゴナド、タヨリノナイモノニ金ヲオ惠ミニナリマシタ。其ノ上、金一千七百餘萬圓ヲ御下賜ニナリ、之ヲ朝鮮中ノ各府郡ニ分配シテ、産業ヲ勵マシ、教育ヲ進メ、凶年ニ備エルヨウニサセラレマシタカラ、朝鮮ノ人々ハ、永遠ニ、此ノオ惠ヲ蒙ルノデアリマス。マコトニ、アリガタイコトデハアリマセンカ。今、朝鮮ノ各地方ニ見ルトコロノ蠶業傳習所トカ、機業傳習所トカ、普通學校トカハ、大抵皆、此ノ金カラ生ズル利子ヲイタダイテ居ルモノデアリマス。又、災難にアッテ困ッテ居タモノデ、此ノ金デ救ワレタノモ少ナクアリマセン。
明治天皇ノオ生レニナッタ日ハ十一月三日デ、オカクレニナッタ日ハ七月三十日デゴザイマス。コレ等ノ日ニハ、イツモ明治天皇ノ御恩ノ大層深イコトガ思イ出サレテ、マコトニ有リ難ク感ゼラレマス。

練習
一、明治天皇ハ、明治四十三年ニ、朝鮮ニ對シテ、ドンナコトヲナサイマシタカ。
二、朝鮮デハ、明治天皇カラ御下賜ニナッタ一千七百餘萬圓ノ金ヲ、ドンナニシテ用イテ居マスカ。ソレヲ文ニオ作 リナサイ。
三、次ノコトバヲ本字デオ書キナサイ。
     タイシャ。 オンショウ。デンシウジョ。 ゴカシ。 コウシ。 セップ ソゼイ。
四、「蠶業傳習所トカ、機業傳習所トカ」ノ樣ニ、「トカ」ヲ用イテ、短文ヲオ作リナサイ。
   
■第四課 菊
秋(の)日かげ(に)  かゞやきて、
色香けだかき  菊(の)花。
(こ)れぞま(こ)と(に)  花中(の)君子。」
たねをつたえて、  外つ國(の)
人も(た)う(た)む  菊(の)花。
げ(に)も道理よ、  み(かどの)御紋。」
      ※( )内は変体仮名

練習
一、此の歌をそらで言ってごらんなさい。
二、此の歌の意味をお話しなさい。
   
■第五課 朝鮮地理問答
朴泳武は普通學校の第三年生です。或る日、兄の泳文に向って、
 「兄さん、朝鮮は十三道に分れて居るということですが、それは何々ですか。」
と尋ねました。
 兄「まず半島の殆ど中央にあるのが京畿道で、其の南にあるのが忠清南北・全羅南北・慶尚南北の六道、其の北にあるのが黄海・平安南北・咸鏡南北の五道、それに京畿道の東にある江原道、これで十三道です。」
 弟「よく分りました。それから朝鮮の鐡道は、どうなって居ますか。」
 兄「京城と釜山との間には京釜線があり、京城と新義州との間には京義線があって、半島を南北に貫いて居ます。そうして京釜線の支線には馬山線・京仁線があり、京義線の支線には兼ニ浦線・平南線があります。此の外、湖南線・京元線もあります。又、新たに建設に着手して居るものもあります。」
兄はこう言って、更に言葉をついで、
 「今度は私が聞くが、朝鮮で一ばん大きな都會はどこですか。」
 弟「それは京城です。」
 兄「其の次は。」
 弟「平壤と釜山です。」
 兄「それから。」
 弟「外は知りません。」
 兄「それでは私が教えましょう。まず南の方からいえば、大邱・大田・仁川・開城・海州・鎭南浦・元山・咸興などが大きな都會です。」
 弟「もうありませんか。」
 兄「まだあります。晋州・馬山・木浦・全州・群山・新義州なども、かなりにぎやかな所です。」
 弟「陸には鐡道があるから便利ですが、海の方はどんなですか。」
 兄「海には朝鮮郵船會社や大阪商船會社などの汽船が通って、重な港には大抵立ち寄りますから、やはりよほど便利です。此の頃は朝鮮も大層開けました。」

練習
一、此の課に書いてあることを、まとめて言ってごらんなさい。
二、十三道の名を、北からじゆんに、南の方え數え上げてごらんなさい。
三、汽車で、新義州から木浦まで行く道すじを、文にお作りなさい。
   
■第六課 雁
燕ハ、暖カニナルト、南ノ方カラ飛ンデ來テ、涼シクナルト、マタ南ノ方エ飛ンデ行キマス。雁ハ、燕ノ歸ル頃、北ノ方カラ飛ンデ來テ、燕ノ來ル頃ニ、マタ北ノ方エ歸リマス。
モウ秋ニナリマシタカラ、雁ガ追イ\/飛ンデ來マス。雁ハ多ク列ヲ作ッテ飛ビマスガ、其ノ時ニハ、一羽ノ雁ガ列ヲ離レテ、少シ先キノ方ニ飛ンデ行キマス。ソレハ道案内デ、ホカノ雁ハ其ノアトニツイテ行キマス。又、飛ブ時ニハ、鳴キ合ッテ合圖(アイズ)ヲシマス。若シ列カラ離レルヨウナコトガアッテモ、其ノ合圖ヲ聞クト、直グ列ニ加ワルノデス。
雁ノ聲ヲ聞クノハ、空ガ晴レテ、月ノ明ルイ晩ニ多イモノデス。曇ッタ晩ヤ暗夜(ヤミヨ)ニハ道ニ迷ウカラ、大抵、月夜ニ飛ビマス。ヨク注意シタモノデハアリマセンカ。

練習
一、燕ト雁ハ、イツ來テ、イツ歸リマスカ。
二、雁ガ空ヲ飛ブ時ノコトヲ、文ニオ作リナサイ。
三、次ノ文ニアヤマリガアルナラバ、ソレヲオ直シナサイ。
   一羽ノ雁ガ列カラ離レルヨウトシテ居マス。雁ハ合圖ヲ聞クト、直グ列ニ加エルノデス。
   
■第七課 甘藷
甘藷ハ味ガ甘クテ、燒イテモ、煮テモ、蒸シテモ食ベラレ、御飯ノ代リニモナリマス。穀物ニ適シナイヨウナ砂地ニモヨク出來ルシ、氣候ノ不順ナ年ニモ、不作ガナイカラ、甚ダ重寶ナモノデス。」
甘藷ハ初メ支那カラ琉球(リウキウ)ニ傳ワッタモノデスガ、ソレガ薩摩(サツマ)ニ渡ッテ來マシタカラ、「サツマイモ」トイイマス。甘藷ガ、今日ノ樣ニ、内地ニヨク廣マッタノハ、井戸平左衛門ト青木昆陽トカノ力ニ依ルコトガ多イノデス。
井戸平左衛門ハ二百年ホド前ノ人デ、石見國(イワミノクニ)ノ役人デアリマシタ。凶年ノ時、食ベ物ガナクテ、餓死スル者ガ多イコトヲナゲイテ、甘藷ノ種子ヲ取リ寄セ、人民ニ勸メテ、之ヲ植エ付ケサセマシタ。
スルト人民ハ我モ\/ト植エ始メマシタカラ、數年ノ中ニ、其ノ地方一帶ニ廣マッテ、凶年ニモ餓死ヲ免レルヨウニナリマシタ。土地ノ人民ハ井戸神社ヲ建テテ平左衛門、ヲ祀リ、今ミナオ其ノ恩ヲ忘レマセン。
青木昆陽ハ平左衛門ヨリ少シ後ノ人デ、有名ナ學者テセシタ。甘藷ノ作リ方ヤ貯エ方ナドヲヨクシラベテ、之ヲ委シク書物ニシルシテ、政府ニ差上ゲマシタ。政府デハ其ノ書物ニ種藷ヲ添エテ、方々エクバリマシタカラ、忽チ全國ニ廣マリマシタ。
昆陽ノ墓ハ今モ東京ノ近クニアッテ、「甘藷先生墓」ト刻ンダ碑石ガ建テテアリマス。

練習
一、甘藷ガ重寶ナモノデアルコトヲオ話シナサイ。
ニ、井戸平左衛門ノコトヲオ話シナサイ。
三、青木昆陽ノコトヲ文ニオ作リナサイ。
四、此ノ課ニ書イテアルコトヲ、マトメテ言ッテゴランナサイ。
   
■第八課 甘藷を贈る手紙
甘藷が出來ましたから、少しばかりですけれども差上げます。これは父が内地から求めた種藷を少し分けてもらって、私と弟と二人で、作ったのでございます。白菜もよほど大きくなりましたから、其のうち、また差上げたいと思って居ます。
   十一月一日                       金仁孫樣
    李先吉樣
                                               
    同じく返事
見事な甘藷をお贈り下さいまして、有り難う存じます。早速いたヾくつもりでございます。定めて味がけっこうでございましょう。こんなによく出來るなら、來年は私も種藷を分けていたヾいて、作ってみとうございます。其のうち上って、お禮を申し上げます。
   十一月一日                       李先吉
    金仁孫樣

練習
一、自分で植えた柿の木に、始めて實がなったのを、友だちに贈ってやる手紙をお書きなさい。
ニ、右の返事をお書きなさい。
   
■第九課 本州と四國
本州は大層大きな島で、通例、之を五つの地方に分けます。五つの地方とは中國・近畿・中部・關東・奥羽です。
本州の氣候は大抵温和ですが、奥羽地方の冬は、寒さがはげしうございます。そうして奥羽地方も中部地方も、海に向って居る所は、冬になると、雪が多く積ります。
關東地方と近畿地方とには、大きな都會がいくつもあります。東京や横濱は關東地方にあって、京都・大阪・神戸などは、近畿地方にあるのです。
下關から汽車に乘れば、中國・近畿・中部の各地方を通って、關東地方に入り、東京に着きます。其の間に廣島・神戸・大阪・京都・名古屋・横濱などがあるのです。汽車は東京から、更に奥羽地方の北端まで、通じて居ます。」
中國地方の南には、瀬戸内海を隔てて、四國があって、氣候は本州よりも暖かです。瀬戸内海には絶えず船が通い、波がおだやかで、方々に島があって、大層景色がよろしうございます。
下關は中國地方の西端にある港で、此處から、毎日、朝鮮地方え船が往來します。
又、中國地方の日本海に面して居る地からも、船が朝鮮え往來します。大昔、素戔鳴尊(すさのおのみこと)が朝鮮え往來なさったのも、多分、此の邊からだろうということです。

練習
一、本州及び中國の氣候はどんなですか。
ニ、汽車・汽船で、京城から奥羽地方の北端まで、旅行する道すじをお話しなさい。
三、瀬戸内海のことを文にお作りなさい。
四、「追い\/」「絶えず」「いくつも」を用いて、三つの短文をお作りなさい。
   
■第十課 大阪からの手紙
其の後、變りはありませんか。おとうさんも、おかあさんも、たっしゃでしょう。私は、途中、あちこち見物して、昨日、無事大阪に着きました。大阪は人口が百二十萬近くもあって、東京に次ぐ大都會です。市内には川や堀が幾筋も流れて居て、船が絶えず往來して居ます。又、築港も出來て、大きな船が澤山泊って居ます。水運ばかりでなく、陸上の交通も大層便利で、汽車の發着は殆どたえまがありません。電車は、市内は勿論、京都・奈良・神戸えも通じて居ます。」
川口には、船のほばしらが林の樣に立ち並び、市中には、無數の煙突が黒雲の樣な煙を吐き出して居ます。」
此の樣に水陸の交通が便利ですから、商業や工業が次第に發達して、外國との貿易も、年々、盛んになるばかりです。
明日は夕方に京都え行く積りです。皆様によろしく申し上げてください。
   一月七日                    容植
   完植殿

朝鮮京城府堅志洞三十二番地
尹 完 植 殿
       平信

大阪市北區梅田町六十八番地
山本旅館
    尹  容 植

練習
一、大阪の交通をお話しなさい。
ニ、皆さんの所から、尹容植の所に送る手紙の封筒に、姓名・住所等をお書きなさい。
三、次の本字の讀み方を假名でお書きなさい。
     便利。 貿易。 世間。 學者。 封筒。 列。
四、次のことばをお讀みなさい。
     昨日。 今日。 明日。 明後日。
     昨年。 今年。 明年。 明後年。
   
■第十一課 人ノカラダ(一)
人ノ體ノ外(ソト)ヲ包ンデ居ルモノハ皮膚デス。皮膚ハチョウド家ノ壁ノ樣ナモノデ、體ノ内ニアル色々ナ道具ヲ守ッテ居マス。皮膚ノ下ニハ筋肉ガアッテ、骨ニツイテ居マス。骨ハ筋肉ヲ支エテ、體ノ柱トナッテ居マス。筋肉ガ伸ビタリ、縮ンダリスルノデ、體ノ色色ナ運動ガ出來ルノデス。
人ノ體ニハ頭・胴・手・足ノ四部ガアリマス。腦髄ニハモノヲ覺エタリ、道理ヲ考エタリ、喜ンダリ、悲シンダリ、其ノ外、スベテ心ノハタラキヲスルモノデス。ゴク大事なモノデスカラ、頭蓋骨(ズガイコツ)ガ之ヲ包ンデ、其ノ上ニ、髪ノ毛ガ生エテ、大切ニ保護シテ居マス。

練習
一、人ノ體ヲ家ニクラベテオ話シナサイ。
ニ、頭ヲ打ツノハ、ナゼ悪イデショウカ。
三、次ノ本字ノ形のチガイニ注意シナサイ。
   殻、穀。 恩、思。 興、與。 或、咸。
四、心ノハタラキニハ、ドンナコトガアリマスカ。知ッテ居ルダケ、言ッテゴランナサイ。
   
■第十二課 人ノカラダ(ニ)
胴ニハ胸ト腹トガアッテ、胸ハ上ノ方ニ、腹ハ下ノ方ニアリマス。
胸ノ内ニハ肺臓トガアリマス。既ニ體ヲ養ッテケガレタ血ハ、肺臓エメグッテ行ッテ、口ヤ鼻カラ吸イ込マレタ空氣カラ酸素ヲ取ッテ、再ビ良イ血ニナリマス。其ノ血ハ心臓エ行ッテ、マタ體中ヲメグリ、體ヲ養イマス。
腹ノ内ニハ胃ガアッテ、其ノ下ニハ腸トイウ長イ管ガグル\/曲ッテ、重ナリ合ッテハイッテ居マス。胃ハ食ベタ物ヲコナシテ、腸ニ送リマス。腸ハ胃デコナレナイ物ヲヨクコナシマス。胃ヤ腸デコナサレタ滋養分ハ血液トナッテ、體ヲ養ウノデス。
手デハ物ヲ握ル、取ル、投ゲルナド、色々、巧ミナ働ヲスルシ、足デハ體ヲ支エタリ、歩行シタリシマス。
人の體ハ、ザット、コンナ風ニ出來テ居マス。之ヲ丈夫ニスルニハ、滋養物ヲ食ベ、新鮮ナ空氣ヲ吸イ、ソウシテヨク運動スルコトガ、カンジンデス。

練習
一、胃・腸・肺臓・心臓ハドンナ働ヲシマスカ。
ニ、知ッテ居ルダケ、身體ノ各部分ノ名ヲ言ッテゴランナサイ。(此ノ課ニ書イテアル外ノコトモ、加エテオ話シナサイ。)
三、手ガ大層巧ミナ働ヲスルコトヲ、委シク言ッテゴランナサイ。(此ノ課ニ書イテアル外ノコトモ、加エテオ話シナサイ。)
四、體ヲ丈夫ニスルニハ、ドンナコトガ大切デスカ。ソレヲ文ニオ作リナサイ。(此ノ課ニ書イテアル外ノコトモ、加エテオ話シナサイ。)
   
■第十三課 食物
人は絶えず體を動かしたり、腦を使ったりしますから、自然と體力や腦力が減ります。それで之を補うために、食物が必要なのです。
食物には、たヾ一種だけで、人の體に入用な滋養分を適當に含んで居るものは、殆んどありません。それですから、色々な物を食べることが必要です。何處の國の人も、穀物・野菜・肉類などを食べますが、これは自然と道理にかなって居ることです。
植物質の食物というのは、穀物・野菜・果物などです。穀物には米・麥・粟・稗・黍・豆などがあり、野菜には大根・蕪菁(かぶら)・菜・瓜・茄子・甘藷・馬鈴薯などがありますが、これ等は多くの人々が、ふだん食べる大切な物です。
果物は桃・杏・梨・林檎・蜜柑・栗・柿・棗などで、これ等も人が多く好んで食べます。けれども、決して、熟さない物を食べてはなりません。」
蕃椒(とうがらし)・蒜・韮などは多く用いると、體を害します。殊に幼年の者にはくありません。」
動物質の食物というのは、鳥獸魚介などの肉で、多くは滋養分に富んで居ます。
食物は消化し易いように、料理することが最も大切です。又、肉類でも、野菜でも、生で食べるにはよく氣を付けなければなりません。生の肉類や野菜には、蟲の卵や黴菌のついて居ることがありますから、それを食べると、體の害になります。又、腐った物を食べるのは、殊によくありません。
すべて食物はよくかんで食べ、決して食べ過してはなりません。
諺に「病は口より入る。」とあるのは、まことによい誡です。

練習
一、此の課に書いてあることを、まとめてお話しなさい。
ニ、食物にはどんな種類がありますか。
三、種々な物を食べることが必要なわけを、文にお作りなさい。
四、物を食べるに、注意すべきことをお話しなさい。
五、食物や動物の中で、人々がよく食べる物の名を、知って居るだけ、言ってごらんなさい。
   
■第十四課 胃の腑と身體
或る時、手・足・目・口・耳などが不平を起こし、一同申し合わせて、胃の腑に向って、
「吾々は毎日忙しく働いて、お前に食物を送ってやるのに、お前は何もしないで、ただすわって食べてばかり居て、吾々に何一つ役に立つことをしてくれない。あまりばか\/しいから、吾々は一同申し合わせて、今日から働かないことにした。そう承知してもらいたい。」
と言いました。
それからして後は、皆が何もしません。耳は食事の知らせを聞いても、聞かぬ風をして居るし、目は食物を見ても、見ぬふりをして居ます。手も食物を口に入れないし、足も食物をする場所え行きません。
こんなにして二三日たつと、耳は鳴り始める、目は暗む、手足は動けなくなる、皮膚の色まで青ざめて來て、身體は全く衰えました。そこで胃の腑は、一同に向って、次の樣に言いました。
「皆さんは、私がたゞすわって食べて居ると思うが、それはまちがいです。私は食物を消化する役目を務めて居るのです。若し私が食物を消化しなかったならば、此の體を養う血は、どうして出來ましょうか。皆さんは私を苦しめようと思って、此の程は少しも食物を送ってくれない。それだから新しい血が出來ないで、體が弱り、皆さんは、却って、そんなに自分で苦しんで居るのです。これで皆さんも、考えちがいをして居たことが分ったでしょう。皆さんは、私に食物を送るために、働いたに相違ないが、私も亦、皆さんを養うために、働いて居たのです。これからは互に助け合って、睦しく暮らしたい。世の中はすべて相持です。」
之を聞いて、手足などは皆一同になるほどと感心して、それからは不平を起さないようになりました。

練習
一、「世の中は相持。」ということばの意味をお話しなさい。
二、手足などが不平を起したことの、まちがって居るわけをお話しなさい。
三、世間にも此の話に似たことがありますか。
四、次のことばの意味をお話しなさい。
    不平、不作。  一同、一帶。  相違、相持。  料理、道理。
   
■第十五課 年始状
一月一日に、學校の儀式がすんで、新一が家(うち)え歸ってみると、父のところえ、方々から年始状が澤山來て居ました。葉書もあり、封書もあり、又名刺を封筒に入れたのもありました。
葉書には「新年おめでとうございます」。「謹賀新年(きんがしんねん)」「恭賀新年(きょうがしんねん)」などと書いたのが多くありました。中には印刷したのもありました」。
父は一本の手紙を取って、封を切って讀みましたが、それは父と懇意で、これまで何度も、新一の家に來たことがある渡邊文雄(わたなべふみお)という人の年始状でした。
父は其の手紙を新一の前に置いて、
「新一、これは渡邊のおじさんから來た年始状だ。讀んでごらん。」
と言いました。
新一が之を讀むと、次の樣に書いてありました。
  明けまして、おめでとうございます。昨年は度々上りまして、一方(ひとかた)ならぬ御厚情に預り、まことにあり
  がとうございます。どうぞ、今年の亦、相變らず、よろしく願い上げます。奥樣にも新一さんにも、よろしくお傳え
  下さい。其の中、やひまの節、私方えもお出で下さい。お待ち申して居ります。私もぜひお伺い致したいと存じ
  ます。
父は新一がよく讀んだのをほめました。

練習
一、紙を葉書の形にして、友だちのところに送る年始状を書いてごらんなさい。
ニ、次のことばを本字でお書きなさい。
    はがき。 てがみ。 ふうしょ。 ふうとう。 きって。きんがしんねん。 きょうがしんねん。
三、次の本字の形のちがいに注意しなさい。
    状、壯。 印、卵。住、往。 清、情。
四、「青ざめる」「方々」「なるほど」を用いて、三つの短文をお作りなさい。
   
■第十六課 京都見物の話
此の頃は夜が長いので、毎晩、うち中の人たちが集って、色々な話をします。
 弟「兄さん、大阪のことはお手紙でよく分りましたが、今夜は、どうぞ、京都のお話をして下さい」。
みんなが、それは面白いでしょうと言って、喜びました。
そこで兄は、次の樣に、話して聞かせました。
「京都は人口が四十五萬もあって、大阪に次ぐ大都會です。まことに美してところで、名所・舊蹟が多く、名高い社や寺なども少なくありません。それですから一年中、見物人が絶えません」。
市街は、ちょうど碁盤の目の樣に、路が縱横にきまりよく通って、家屋が、其の間に、鱗の樣に並んで居ます。
此の地は、明治の初年まで、一千餘年の間、代々の天皇のいらせられたところで、今でも昔の御所がそのまゝにあります」。
又、京都帝國大學・帝室博物館、其の他、銀行・會社などの大きな建物もあります。平安神宮・北野神社・金閣寺などは、何れも立派で、いつも參詣人が絶えません。市の近くには名所が多くあって、中にも嵐山(あらしやま)の櫻、高尾の紅葉は昔から名高いということです。それから京都には、織物・陶器・漆器などの良い品が出來ます」。
 弟「兄さんは京都えお出でになった時、明治天皇の御陵おおまいりなさったということですが、それは何處にありますか」。
 兄「明治天皇の御陵は、京都から、汽車又は電車に乘って南え行くと、あまり遠くないところにありまして、伏見桃山稜(ふしみのもゝやまのみさゝぎ)と申すのです。昭憲皇太后(しょうけんこうたいこう)の御陵も直ぐ其の近くにありまして、伏見桃山東稜(ふしみのもヽやまのひがしのみさヽぎ)と申します。私の參拝した時も、大勢の人が參拝して居ましたが、いつも、あんなに多いそうです」。
みんなが此の話を聞いて、大層面白かったと言いました。

練習
一、東京・大阪・京都・京城の人口は各々何程ですか。
ニ、京都と大阪とをくらべて、其のちがいをお話しなさい。
三、京都の市街はどんなですか。
四、京都の社や寺や、其の他、名高い建物をあげてごらんなさい。
   
■第十七課 おもいやり
   
■第十八課 九州ト臺灣
門司ハ下關ト向イ合ッテ居ル港デ、長崎ハ九州ノ西部ニアル港デス。共ニ頗ル良イ港デ、船ノ出入ガ絶エマセン。
汽車ハ門司カラ九州ノ南部鹿兒島マデ通ジテ居テ、其ノ間ニ福岡・熊本ナドガアリマス。又、此ノ鐵道ハ途中カラ分レテ、長崎ニモ通ジテ居マス。
琉球ハ九州ヨリ遥カ南ノ海中ニアッテ、氣候ガ暖カデ、一年中、雪ハ降リマセン。
臺灣は、琉球ヨリモ、又、遥カ南ニアッテ、支那ニハヨホド近イ島デス。氣候ハ琉球ヨリモ一層暖カデ、南ノ方ニナルト、大層暑イノデス。雪ハ降リマセンガ、雨ハ多ク降リマス。
鐵道ハ南北ニ通ジテ居ルシ、内地トノ間ニハ、大キナ汽船ガ往來シテ、居マス。
臺灣ノ新高山(ニイタカヤマ)ハ、日本第一ノ高山デス。
臺灣ニハ、内地人ノ外、支那カラ移ッテ行ッタ人ノ子孫ガ、多ク住ンデ居マス。又、山地ニハ、開ケナイ蕃人モ居マス。

練習
一、九州ノ鐵道線路ニアタル都會ノコトヲオ話シナサイ。
ニ、琉球ト臺灣トノ氣候ヲ文ニオ作リナサイ。
三、臺灣ニハドンナ人ガ住ンデ居マスカ。
四、次ノ本字ノ讀ミ方ヲ、知ッテ居ルダケ、言ッテゴランナサイ。
   頭。  新。  生。  着。  物。
   
■第十九課 北海道ト樺太
奥羽地方ノ北端カラ、船ニ乘ッテ海峽ヲ渡ルト、北海道ニ着キマス。
千島列島モ北海道ノ一部デス。
北海道ハ本州ニ次グ大キナ島デスケレドモ、人口ハ割合ニ少ナク、マダヨク開ケナイ土地モアリマス。
氣候ハ奥羽地方ヨリモ寒イガ、雪ハ多ク積リマセン。
汽車ハ、南ノ端ノ函館カラ、北ノ方マデ通ジテ居マス。函館ノ外ニ、小樽モ良イ港デス」。
北海道ニハ、内地人ノ外ニ、あいぬ人モ住ンデ居マス。
北海道ノ北ニ樺太島ガアリマス。南ノ半部ハ我ガ國ノ地デスガ、北ノ半部ハろしや領デス。樺太ノ冬ハ大層寒クテ、近海ハ全ク凍ッテシマイマス。樺太ニモ、内地人ノ外ニ、あいぬ人ナドガ住ンデ居マス。

練習
一、北海道ト奥羽地方トノ氣候ヲクラベテオ話シナサイ。
ニ、北海道及ビ樺太ノ住民ノコトヲオ話シナサイ。
三、「割合ニ多イ」。「割合ニ少ナイ」。トイウコトバヲツカッテ、二ツノ短文ヲオ作リナサイ。
   
■第二十課 隣國
我ガ國ノ隣ニハ、西カラ北ニアタッテ、支那ト露西亞領しべりやトガ、アリマス。
支那ノ東北部ハ満洲デ、鴨緑江ヲ隔テテ、朝鮮ニ對シテ居マス。満洲ノ南部ニ突キ出テ居ル遼東半島ノ南端ニハ、關東州ガアリマス。關東州ハ我ガ國ノ租借地デ、コヽニ旅順・大連ノニ港ガアリマス。
滿洲ノ南部地方ニハ、我ガ國ノ南滿洲鐵道ガ敷設サレテアリマス。南滿洲鐵道ハ關東州カラ來テ、平野ヲ北ニ進ンデ、長春デ露西亞ノ鐵道ニ續キ、又、奉天カラ東南ニ進ンデ、安東デ朝鮮鐵道ニ續キマス。又、別ニ支那ノ鐵道ハ北京(ペキン)カラ來テ、南滿洲鐵道ニ續キマス、
豆滿江ノ東北地方ハ露西亞領しべりや゛、日本海ニ面シテ居ルトコロニ、浦鹽斯徳(ウラジオストック)トイウ港ガアリマス。此處エハ、内地カラモ朝鮮カラモ、汽船ガ往來シマス。浦鹽斯徳カラ、鐵道ガ滿洲・しべりやを經テ、露西亞本國ニ通ジテ居マス。南滿洲鐵道ニッテモ、ヤハリ此ノ鐵道デ、露西亞ニ行くコトガ出來マス。
しべりやハモト露西亞ノ地デハナカッタケレドモ、露西亞ガ段々之ヲ取ッタノデス。浦鹽斯徳ノ邊モ、支那ノ地デアッタノヲ、露西亞ガ讓リ受ケタノデス。

練習
一、支那ト露西亞トノ地デ、我ガ國ニ最モ近イトコロヲオ話シナサイ。
ニ、南滿洲ニハ、ドンナ鐵道ガリマスカ。
三、南満洲鐵道ノコトヲ文ニオ作リナサイ。
   
■第二十一課 明治二十七八年戰役(一)
明治二十七年ニ、朝鮮ニ騒動ノ起ッタ時、清國ハ朝鮮ヲ自分ノ屬國ダト言ッテ、勝手ニ兵ヲ朝鮮ニ送リマシタ。又、清國ノ軍艦ハ、豐島沖デ、我ガ軍艦カラモ發砲シテ、之ヲ打破リマシタ。ソコデ我ガ國ハ清國ノ無禮ヲ責メテ、遂ニコレト戰爭スルコトニナリマシタ。
我ガ陸軍ハ、初メ成歡デ、次ニ平壤デ、サンザンニ清國ノ大兵ヲ打破リマシタ。ソウシテ段々北エ進ミ、鴨緑江ヲ渡ッテ、滿洲地方エ攻メ入リマシタ。
又、我ガ海軍ハ、平壤ノ戰ガアッテカラ二日目ニ、黄海デ大イニ敵ノ海軍ヲ破ッテ、其ノ軍艦ヲ打沈メタリ、燒イタリシマシタ。

練習
一、我ガ國ガ清國ト戰爭スルヨウニナッタワケヲオ話シナサイ。
ニ、我ガ陸海軍ハドコデ勝チマシタカ。
三、「勝手ニ」「サンザンニ」ヲ用イテ、二ツノ短文ヲオ作リナサイ。
   
■第二十二課 明治二十七八年戰役(二)
我ガ國ハ、又別ニ軍ヲ出シテ、遼東半島ノ南部ニ上陸サセテ、段々、敵地ヲ取ッテ、遂ニ旅順ヲ攻メマシタ。旅順ハ要害ノ地デ、守ルニハ都合ヨク、攻メルニハ困難ナ所デスガ、我ガ軍ハ直グニ之ヲ攻メ落シテシマイマシタ。敵ノ勢ハコレカラ俄カニ弱リマシタ。
其ノ時、敵ノ海軍ハ威海衞ニ逃ゲ込ンデ居マシタガ、我ガ海軍ハ陸軍ト力ヲアワセテ、之ヲ攻メマシタ。敵ノ海軍ハカナワナイデ、遂ニ降參シマシタ。ソコデ我ガ陸軍ハ、進ンデ、清國ノ首府ノ北京ヲ攻メヨウトシマシタ。
清國ハ大層恐レテ、使ヲ我ガ國ニ遣ワシテ、多クノ償金ヲ出シ、臺灣ヲ我ガ國ニ讓ッテ、講和ヲシマシタ。ソウシテ清國ハ、朝鮮ガ自分ノ屬國デナイトイウコトヲ承知シマシタ。

練習
一、旅順ノ戰ト威海衞ノ戰トヲオ話シナサイ。
ニ、清國ハ講和ノ時ニ、我ガ國ニ對シテ、ドンナコトヲシマシタカ。
三、次ノコトバヲオ讀ミナサイ。
   軍艦。  都合。  無禮。  屬國。  戰爭。
   
■第二十三課 都會と田舎
或る田舎に相應に暮して居る農家がありました。主人は金元培といって、信用もあり、評判もよい人でありました。
其の長男の鎭世というのは、近頃、普通學校を卒業したものですが、
「田舎に居て、百姓などするのはつまらぬ。ぜひ都會に出て、何か商賣を始めたい。都會に行きさえすれば、よい仕事があるにちがいない。都會に居れば、珍らしいものも見られるし、面白いめにも逢うことが出來て、どんなにか愉快であろう」。
と思い込んで、或る日、父母に一言の斷もなく、家を飛び出して平壤に居る伯父の金一培を尋ねて行きました。
金一培は或る商店の主人であります。鎭世から委しい話を聞いて、非常に驚きまして、次の樣に、其の不心得なことを言って聞かせました。
「世の中には、都會ばかりをよいものとして、田舎を全くつまらぬものと思う人がないでもないが、これは大變間違った考である。都會は賑やか、便利であるから、之を羨むのも、無理ではない。しかし長く住んでみると、都會の生活には苦勞が多く、不愉快なことが少なくない。物價が高いばかりでなく、色々、費用も多くかヽる。商賣をするにも、資本が澤山いるし、大きくやって居る店でも、ほんとうに利益のあるうちは、割合に少ないものだ。たヾわけもなく、田舎はいやだ、百姓はきらいだといって、都會に出て來ても仕方がない。
田舎は都會にくらべると、よほど暮しくて、人々が親切である。其の上、山水の美しいこと、空氣の新鮮なことなどは、とても都會では得られぬことである。田舎でも、お前がたのする事業は澤山ある。なれぬ都會に出て、先祖の蓄えられた財産をつかってしまって、何の得るところもなく、却って惡い風に染むようなことがあっては、後悔しても及ばない。
お前は常に品行に注意し、家業に精出して、父上が作られた財産を殖し、家の幸福を進め、村の繁昌をはかるようにするがよい。それがお前のためであり、又お國のためである。わたしが父上におわびをしてやるから、直ぐ歸れ」。
鎭世は伯父にわびをしてもらって、家に歸りました。
それから十數年たって、鎭世が家長となった頃には、村内第一の富有な農家となって、村民に尊敬されました。是れ全く、伯父に言い聞かされたことを、よく守ったからであります。

練習
一、金鎭世はなぜ家を飛び出したのですか。
ニ、伯父は、鎭世に、どんなことを言って聞かせましたか。
三、皆さんは、伯父の言ったことについて、どう思いますか。
   
■第二十四課 人の職業
世の中には官吏もあり、敎師もあり、又醫師などもあります。けれどもこれ等の職業ばかり貴いわけではなく、農業・工業・商業等も亦甚だ大切で、決して賤しむべきものではありません。近來、人々が農・工・商等の實業をも貴ぶようになったのは、喜ぶべきことです。
農業は、主として、米・麥・豆・粟等、種々の穀物を作るものです。穀物の作り方も、近頃は大いに改良されましたから、たヾ昔の通りにばかりして居てはいけません。殊に良い種子を選ぶことが大切です。惡い種子では、いくら骨を折っても、良い穀物が取れないし、収穫も多くありません。
此の外、農業には種々あります。野菜を作ったり、果樹を植えたり、家畜や家禽をかったりするのも、利益のあることです。
養蠶も亦利益の多いものですから、なるべく之をしなければなりません。
農事のひま\/に、筵を織ったり、繩をなったりすることは、副業といって、是れ亦、きわめて大切なことです。
家屋を建てたり、陶器や漆器を作ったり、反物を織ったり、紙をこしらえたりなどするのは、皆工業です。工業にも新しい方法が、段々行われるようになりましたから、たヾ昔の通りにばかりして居ては、良い品は出來ません。
商業は農業や工業で作った品物を買い取って、又それを賣って、利益を得るものです。商業にも色々あって、米屋もあれば雜貨屋もあり、魚屋(さかなや)もあれば呉服屋もあって、一々あげ盡すことは出來ません。又、國内で商賣するばかりでなく、外國と貿易するものもあります。
商人があちらの物を買っては、こちらに賣るから、人々が不自由をしないのです。
人は誰でも自分の職業を勵んで、家を富まし、國のためになるように、心がけなければなりません。

練習
一、職業にはどんなものがありますか。
二、農業はどんなことをするものですか。
三、商業はどんなことをするものですか。
四、工業はどんなことをするものですか。
五、此の地方に行われる農家の副業を言ってごらんなさい。
   
■第二十五課 わざくらべ
昔、内地に百濟から行った人の子孫で、百濟河成(クダラノカワナリ)といって、非常に繪の上手な人がありました。又、其の友だちに飛騨工(ヒダノタクミ)といって、世に聞えた大工の名人がありました。或る日、工は河成に向って、
「此の頃、小さな堂を建てましたから、どうぞ其の四方の壁に、繪をかいて下さい。」と言いました。
そこで河成が行ってみると、小さな四角四面の堂があって、四方の戸は皆開いて居ました。工が「おはいり下さい。」と言うから、何心なく、縁に上って、南の口からはいろうとすると、其の戸がはたと閉じてしまいました。驚いて、今度は西の口から、はいろうとすると、其の戸が、又、はたと閉じて、南の戸が開きました。それから北え廻ると、西の戸が開き、東え廻ると、北の戸が開いて、どうしても、はいることが出來ません。くやしくてたまらぬけれども、仕方がないから、工の笑う聲を後に聞きながら、歸ってしまいました。
それから幾日かたって、河成から工のところえ、
「おめにかけたい繪が出來ましたから、お出下さい。」
と言ってやりました。そこで工が河成のところえ行きますと、河成は
「さあ、どうぞこちらえ。」
と言いました。
工が内えはいろうとすると、其處に黑ぶくれになって腐った死人が横わって居て、臭氣が鼻をつくようでありました。工は驚いて、あっと聲を立てて、逃げ出しました。すると河成は、腹をかヽえて笑いながら、
「私がこうして居るのに、あなたは、なぜ、おはいりなさらぬか。」
と言いました。工が恐る\/近寄ってみると、こは如何に、死人と見えたのは、ふすまにかいた繪であったということです。

練習
一、河成が工のところえ行った時のことをお話しなさい。
二、工が河成のところえ行った時のことをお話しなさい。
三、次の字をお讀みなさい。
   (イ) ロ 口   (ロ) エ 工   (ハ) 力 カ   (ニ) ホ  木   (ホ) タ  夕
   
■第二十六課 井上でん
井上でんは筑後國久留米(ちくごのくにくるめ)の人で、生れつき賢く、幼い時から、手仕事が好きでありました。早くから機織を覺えて、十二三歳の頃には、よほど巧みになりまし。常に何か珍らしい物を織り出して、國のためにもなり、世のためにもなりたいと志して居ました。或る時、ふと自分で着古した着物が、ところどころ白く斑(まだら)になって、自然と模樣が出來て居るのを見て、面白いと思って,其の着物の絲を解いてみました。すると黑い絲と白い絲とが、互に入りまじって居るから、深くこれに目をつけました。それから色々と工夫して、織り餘りの絲でもって、白い絲をあちこちとくヽって、それを藍汁に浸しました。そうして其のくヽった絲を解いてみると、白い絲が斑に染まって居ました。そこで其の絲を織ってみると、白い絣の模樣があらわれて、見事な織物が出來ました。其の模樣が雪や霰の飛び散ったようでありますから、人々が雪降・霰織などといって、大層もてはやしました。これが久留米絣の始です。
でんが十五歳の頃には、其の技術が益々進みましたので、でんのところえ來て、機織を學ぶ者が二十餘人もありました。でんが四十歳の頃には、其の敎を受けて、久留米絣を織ることを職業とする者が、四百人にも及びました。そうして段々久留米絣の名が四方に傳わって、販路も益々廣がり、産額も愈々ふえて、久留米地方の繁榮を增すようになりました。
でんは、明治二年に、八十二歳で歿しましたが、其の功が益々世にあらわれ、官からは追賞金を與えられ、同地の人々は、之を後の世に傳えるために、記念館を建てました。

練習
一、井上でんはどうして久留米絣を織り出しましたか。
二、井上でんの功をお話しなさい。
三、次の文をお讀みなさい。
     久留米絣は、大層、世にもてはやされました。
     井上でんは久留米絣を發明しました。
四、「斑犬」と書いて、「ぶちいぬ」と讀みます。どんな犬ですか。
   
■第二十七課 明治三十七八年戰役(一)
露西亞ハ、先キニ、關東州ヲ清國カラ租借シテ、旅順ノ兵備ヲ嚴重ニシテ居マシタガ、其ノ後、清國ニ騒動ノ起ッタ時、多クノ兵ヲ滿洲ニ出シテ、遂ニ之ヲ占領シヨウトシマシタ。ソレバカリデナク、ナオ進ンデ、朝鮮マデモ手ヲノバシテ來マシタ。
若シ朝鮮ガ露西亞ニ占領サレルナラバ、東洋ノ平和ガ破レルカラ、我ガ國ハ之ヲ見テ居ルワケニイキマセン。ソコデ我ガ國ハ露西亞ノ野心ヲ防グタメニ、屡々之ト談判シマシタケレドモ、一向ニ効ガアリマセンデシタ。ソコデ已ムコトヲ得ズ、明治三十七年二月、遂ニ露西亞ト戰爭スルコトニナリマシタ。
我ガ海軍ハ、スバヤク、仁川デ敵艦ヲ破リ、又、屡々旅順口ノ敵艦隊ヲ襲イ、遂ニ黄海デ、大イニ之ヲ打破リマシタ。
又、我ガ陸軍ハ朝鮮ニ入リ込ンデ居ル露西亞兵ヲ遂イ拂ッテ、滿洲ニ進ミ、連戰連勝シテ奉天ニ向イマシタ。別ニ我ガ軍ハ敵ガ難攻不落(ナンコウフラク)ト恃ンデ居タ旅順ヲ陷レテ、敵兵二萬餘ヲ虜ニシマシタ。ソレカラ陸軍ハ皆一ショニナッテ、明治三十八年二月下旬カラ三月十日マデノ間ニ、敵ノ大軍ト奉天ニ會戰シ、大イニ之ヲ破ッテ、敵兵四萬餘ヲ虜ニシマシタ。コレガ名高イ奉天ノ戰デス。

練習
一、我ガ國ガ露西亞ト戰爭スルヨウニナッタワケヲオ話シナサイ。
ニ、我ガ海軍ハドンナ働ヲシマシタカ。
三、我ガ陸軍ハドンナ働ヲシマシタカ。
   
■第二十八課 明治三十七八年戰役(二)
露西亞ガ連敗ノ勢ヲ挽回シヨウト思ッテ、東洋ニ派遣シタ大艦隊ハ、明治三十八年五月、日本海ニ現ワレマシタ。我ガ海軍ハムカエ撃ッテ、二十七日ニカケテ、之ヲ全滅サセマシタ。又、別軍ハ樺太ヲモ占領シマシタ。
カク我ガ軍ハ、陸デモ海デモ、勝利ヲ得マシタガ、中ニモ奉天ノ陸戰ト日本海ノ海戰トハ、古來未曾有(コライミゾウ)ノ大戰デ、又前代未聞(ゼンダイミモン)ノ大勝利デアリマシタ。
ソレデ後ニ、三月十日ヲ陸軍記念日、五月二十七日ヲ海軍記念日ト定メラレマシタ」。
其ノ中ニ兩國ハ和睦シマシタガ、此ノ時露西亞ハ樺太島ノ南半ヲ我ガ國ニ割キ、又、關東州ノ租借權ト滿洲ニ敷設シタ鐵道ノ南部トヲ我ガ國ニ讓リ、南満洲及ビ朝鮮カラ全ク手ヲ引キマシタ。

練習
一、日本海海戰ノコトヲオ話シナサイ。
ニ、我ガ國ト露西亞トノ講和ノコトヲオ話シナサイ。
三、次ノコトバノ意味ヲオ話シナサイ。
    連勝。 和睦。 全滅。 記念碑。 手仕事。
   
■第二十九課 朝鮮總督府
朝鮮ハ、久シイ間、政治ガ亂レテ、人民ハ安ラカニ暮スコトガ出來ズ、又、時々、外國カラ侵サレテ、常ニ東洋ノ禍ノ源トナリマシタ」。
ソレデ明治天皇ハ東洋ノ平和ヲ保チ、人民ノ幸福ヲ進メルタメニ、明治四十三年八月ニ總督ヲオ置キニナッテ、朝鮮ヲ治メシメ給イ、政務總監ヲオ置キニナッテ、總督ヲ補佐セシメ給ウコトニナサイマシタ。
朝鮮總督府ハ、總督ガ政務ヲトラレル役所デ、内務部・度支部・農商工部・司法部ナドガアリマス。各部ニハソレ\/長官ガアリ、長官ノ下ニハ局長・課長ナドガアッテ、職務ヲ行ワレマス」。
又、朝鮮ノ十三道ニハ各々道廳ガアッテ、ソコニ道長官ガ居テ、總督ノ命ヲ受ケテ、其ノ道ヲ治メラレマス。道廳ノ下ニハ府廳及ビ郡廳ガアッテ、府廳ニハ府尹、郡廳ニハ郡守ガ居テ、道長官ノ指圖ニ從ッテ、其ノ府郡ヲ治メラレマス。
此ノ外、總督府ニ屬シテ居ル役所ニ、遞信局、鐵道局・警務總監部・裁判所ナドガアリマス」。
此ノ樣ニシテ、政治ガヨク行キ届キマスカラ、其ノオカゲデ、我々ハ、今日ノ樣ニ、幸福ニ暮スコトガ出來ルノデス。

練習
一、朝鮮總督府ノコトヲオ話シナサイ。
ニ、各道ニハドンナ役所ガアリマスカ。
三、此ノ地方ニアル役所ヲ、知ッテ居ルダケ、言ッテゴランナサイ。
   
■附録(二)
第一課 日光
朱塗 朱色ノ漆(ウルシ)デ塗ルコト。
丹青 赤ヤ青ニ塗ッタ色。
第二課 稲刈
稻扱器 稻ヲ扱クニ用イル道具。稻ヲ扱クニハ、筵ヲ敷イテ、其ノ上ニ稻扱器ヲ置クガヨイノデス。朝鮮デハコレマデ、地面ニ薹ヲ置キ、之ニ稻穂ヲ打チツケテ、籾ヲ落シタノデスガ、此ノ樣ニスルト、籾ニ土ヤ砂ナドガマジッテ、ヨクアリマセン。
第三課 明治天皇
大赦 或ル種ノ罪ヲ犯シテ、現ニ刑罰ヲ受ケテ居ル者、又ハ刑罰ヲ受クベキ者ニ對シテ、天皇陛下ガ其ノ罪ヲオユルシニナルコト。
第四課 菊
第五課 朝鮮地理問答
新たに建設に着手云々 永興(咸鏡南道)カラ元山(同上)ニ至ル永元線ハ既ニ測量ヲ終エ、清津(咸鏡北道)カラ會寧(同上)ニ至ル清會線ハ目下測量中デスガ、共ニ近々工事ニ着手スルコトニナッテ居マス。
第八課 甘藷を贈る手紙
手紙
一、手紙ニ自分ノ姓名ヤ先方ノ姓名ヲ書クニハ、色々、書キ方ガアリマス。
  (イ)正式ノ場合ニハ、自分の姓名ト先方ノ姓名トヲ書キマス。
         (例)
               朴成元
     金容植殿
  (ロ)友人ノ間デハ、自分ノ方モ姓又ハ名バカリ書クコトガアリマス。
         (例一)                     (例ニ)
               朴                         成 元
     李樣                        先吉樣
  (ハ)親シイ目上ノ人ニハ、通例、自分ノ名ト先方ノ姓トヲ書キマス。
         (例)
               文 三
     高橋樣
  (ニ)官職ノアル人ニハ、自分ノ方ハ姓名ヲ書キ、先方ハ姓ノ下ニ、官職名ヲソエテ書クコトガアリマス。
         (例)
               朴成元
     申郡守殿
  (ホ)同族ノ目上ノ人ニハ、自分ノ名ト先方ノ稱呼トヲ書キマス。
         (例)
               三 郎
     御父上樣
  (ヘ)同族ノ目下ノモノニ稱呼ト先方ノ名トヲ書クコトガアリマス。
         (例)
               父より
     三郎殿
ニ、尊稱
  (イ)「殿」ハ公用文又ハ私用文ニ廣ク用イマス。
  (ロ)「樣」ハ私用ノ場合ニ、親シイ人ノ間ニ用イ、公用文ニハ決シテ用イマセン。
  (ハ)「御中」ハ學校・官廳・銀行・會社・商店ナドノ團體ニ對シテ用イマス。
         (例)
                        朴成元
     咸興公立普通學校御中
第十課 大阪からの手紙
築港 灣内ヲ埋メ立テタリ、又ハサラッタリナドシテ、船ノ出入・碇・泊ニ便利ニスルコト
第十三課 食物
黴菌 眼ニ見エナイホド、ゴク小サナ下等等植物。
第十六課 京都見物の話
碁盤 碁ヲウツニ用イル盤デ、縱横ニ正シク、各ゝ十九ノ線ガ引イテアリマス。碁ヲウツニハ、二人ガ向イ合ッテ、此ノ線ノ上ニ、互ニ黑・白ノ碁石ヲナラベテ、勝負ヲ爭イマス。
平安神宮 第五十代ノ桓武天皇ガ、都ヲ京都ニオウツシニナッテカラ、一千年ニ當ル記念トシテ、明治二十八年ニ建テタ宮デ、建築ハ昔ノ宮殿ニナラッテ出來テ居マス。
北野神社 菅原道眞(スガワラノミチザネ)(一千餘年前ノ人)ヲ祀ッテアル社。道眞ハ非常ニ忠義ノ心ガ深ク、學徳ガ高イ人デアリマシタガ、無實ノ罪ヲ受ケテ、京都カラ九州ニ流サレ、遂ニ其ノ地デナクナラレマシタ。後ニ民間デ社ヲ北野ニ立テも今モ天滿天神トイッテ尊ンデ居マス。
金閣寺 五百年バカリ前ニ出來タ寺デ、三階ニナッテ居テ、壁・柱ナドニハ皆金ヲ塗ッテアリマシタガ、今ハ大抵ハゲテシマイマシタ。京都ノ名所ノ一ツデス。
嵐山 櫻及ビ紅葉ノ名所デ、京都市ノ西三里バカリノトコロニアリマス。
高尾 櫻及ビ紅葉ノ名所デ、京都市ノ西北四里ノトコロニアリマス。
昭憲皇太后 今上天皇陛下ノ御母君ニアタラセラレマス。非常ニ御徳ガ高ク、常ニ教育ヤ産業ノコトニ御心ヲオ用イニナッテイラセラレマシタガ、大正三年四月十一日、御年六十三デ崩御アソバサレマシタ。天皇陛下ニハ深ク御ナゲキアソバサレマシテ、同年五月二十四日・二十五日・二十六日ニ、御大葬ヲ行ワセラレマシタ。御陵ハ明治天皇ノ御陵ノスグ東ニアリマス。
第十八課 九州ト臺灣
新高山 我ガ國第一ノ高山デ、臺灣ノ殆ンド中央ニアリマス。高サガ一萬四千尺餘アッテ、富士山ヨリ二千尺モ高イノデス。
蕃人 此ノ蕃族ニハ熟蕃(ジュクバン)ト生蕃(セイバン)トガアリマス。熟蕃ハ割合ニオトナシイガ、生蕃ハ東部ノ山地ニ住ンデ居テ、頗ル兇暴(キョウボウ)デス。
第十九課 北海道ト樺太
あいぬ人 此ノ種族はや、昔ハ奥羽地方マデモ、ハビコッテ住ンデ居マシタガ、今ハ北海道・樺太及ビ千島ニ僅カバカリ居マス。
第二十課 隣國
租借地 一國ガ他國ヨリ借リテ、或ル期間、支配スル土地ヲ租借地トイイマス。關東州ハモト露西亞ガ、明治三十一年ニ、支那カラ二十五箇年ノ約束で、租借シタ地デスガ、明治三十八年、我ガ國ハ露西亞カラ此ノ租借權ヲ讓リ受ケマシタ。
第二十一課 明治二十七八年戰役(一)
清國 今ノ支那國
第二十二課 都會と田舎
伯父 父母ノ兄弟ヲオジ(伯父・叔父)トイイ、其ノ姉妹ヲオバ(伯母・叔母)トイイマス。
第二十六課 井上でん
記念碑 人ノ功徳ナドヲ忘レヌタメニ、建テテ置ク石碑。
第二十一課 明治二十七八年戰役(一)
難攻不落 土地ノ要害ノヨイコト。攻メルニ困難デ、ヨウイニ落チナイトイウ意味デス。
第二十一課 明治二十七八年戰役(一)
古来未曾有 古カラマダ一度モアッタコトガナイトイウ意味デ、ココデハ海戰ガ非常ニハゲシカッタコトヲイウノデス。
前代未聞 以前ニマダ聞イタコトガナイトイウ意味デ、コゝデハ我ガ國ガ非常ニ大勝利ヲ得タコトヲイウノデス。

 


 

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