소련붉은군대(사령관 치스챠코프대장)
중국동북-조선지역에서의 대일작전
1.ソ連の対日参戦
a)ヤルタ協定(1945.2.11)
秘密協定でソ連の対日参戦決定←アメリカの要請
代償:満州における利権の回復(中東鉄道共同経営、旅順租借・大連におけるソ連の優先的利益→蒋介石に無断で決定。1945.8.14中ソ友好同盟条約で実現)、南サハリン返還・千島の引き渡し
*朝鮮についてはいっさい言及なし。アメリカの信託統治構想にスターリン原則同意。「短ければ短いほどよい」
b)宣戦布告(1945.8.8。戦闘開始は8.9)
ソ連極東軍(ワシレフスキー総司令官)の作戦計画=満州の関東軍粉砕、朝鮮への作戦は補助的(日本軍の進路を絶つ)
第1極東方面軍(12万5千人)が東方から満州進入(ハルビン→吉林→長春[新京])。最南翼・第25軍(チスチャコフ大将)は国境防衛から汪清へ進入
とくにその南部分団(シャーニン少将[参謀次長]。第386狙撃師団など)が補助的に琿春から朝鮮へ(鉄道・満州間の鉄道・道路破壊)
一方、太平洋艦隊(コマーシェフ大将)が、空・海より朝鮮の港攻撃(日本と満州の連絡絶つ)
c)戦闘の経過
第25軍主力:東寧占領(司令部設置、8.10)→汪清占領(8.16)→延吉(8.20)
南部分団(8.9攻撃開始) 太平洋艦隊陸戦隊(8.10攻撃開始)
慶興占領(8.10) 雄基占領(8.11)
琿春占領(8.11) 羅津占領(8.12)
第393師団雄基・羅津に進撃、清津へ 清津上陸作戦(8.13)
└────────┬────────┘
│激戦
↓
清津占領(8.16)
羅南占領(8.17) 海兵隊、第355師団
鏡城占領(8.18)→咸北制圧 元山上陸(8.21)
停戦(8.20)
2.ソ連軍の北部朝鮮占領
a)占領の過程
占領軍=第25軍(チスチャコフ大将[のち北朝鮮占領軍司令官]。1900年生「ごく普通の軍人」)→8月末までに朝鮮北部のほぼ全域に進駐、日本軍を武装解除
*占領政策の最高責任者はシトゥイーコフ大将(第1極東方面軍軍事会議員、のち沿海州軍管区軍事会議委員)
咸興への進駐=393師団先遣隊到着(8.21)→南部分団本隊進駐、チスチャコフ大将も延吉より到着(8.24)
咸南の行政権を日本(岸勇一知事)から摂取したうえで、朝鮮民族咸南執行委員会に治安・行政権委譲。植民地行政機関消滅、憲兵・警察官武装解除(8.25)=咸興方式
平壌への進駐=先遣隊到着(8.24)→[38度線封鎖(8.25~26)→]チスチャコフ本隊到着(8.26)=第25軍司令部設置
その後、レーベヂェフ少将、延吉より到着(8.28。第25軍軍事会議委員・政治担当副司令官)→北朝鮮現地での政治方針決定
北朝鮮進駐ソ連軍布告(8.24? 資料[3])=朝鮮の独立を祝福。しかし具体的な占領政策は明らかにされず
道政を朝鮮人側に委譲(8.27)→実質上、朝鮮北部の中央政府に近い役割
│
↓
平安南道人民政治委員会成立(8.29?)=咸興方式の適用
建準平南支部(8.17。曺晩植ら民族主義者優勢)・朝鮮共産党平南委員会(8月末。玄俊赫)が合作、15名ずつ←曺晩植には、8.15に古川兼秀平南知事より権限委譲の接触あり
b)占領体制の確立
占領方針の指令(資料[6]。9.20、スターリン→ワシレフスキー極東ソ連軍総司令官。cf: テキスト、p.90)
北朝鮮にソヴェトを樹立しない
反日的な民主主義政党・組織の連合によるブルジョア民主主義政権を樹立
反日的な民主主義組織・政党の結成を援助
地元住民に、ソヴェト化を押しつけない、私有・公的財産がソ連軍の保護下におかれる、などを説明
企業活動を保障、秩序の維持を呼びかけ
軍は規律を守り、住民の感情を害しないこと
民間行政の指揮は沿海州軍管区軍事評議会が遂行
*朝鮮北部に独自の政権樹立の方針、広範な連合勢力を基盤に(親日派を排除すれば親ソ的な朝鮮人を中心に勢力結集可能との予想)
┌ソ連軍司令部-民政部:占領行政実施(各地の人民委員会に政策方針指示)=間接統治
司令官┼ソ連軍衛戌司令部:治安維持担当(1945.9末で54カ所)
└政治顧問部(司令官直属):占領政策全般の立案(顧問として専門家の動員)「革命的改造のソヴェト的経験の伝達」
*朝鮮系ソ連人が、民政部、共産党へ。着実にソ連型社会への道
c)金日成の帰国(9.19、元山港)
満州の抗日パルチザン闘争:東北人民革命軍(1933~9)→東北抗日連軍(1936~7)
金日成は抗日連軍第2軍第6師長→祖国光復会長白県委員会(1936.9)、普天堡戦闘(1937.4)
日中戦争全面化後、関東軍の集中攻撃で、1941年ソ連に脱出(200余名中60名朝鮮人。崔庸健、金策、金日成ら)
解放後、帰国「満州派」→共和国の中枢へ
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